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西多摩建設業協会について
組合誕生の由来とその精神
西多摩土木・建設請負組合設立総会@青梅坂上旅館大正10年 五日市警察署竣工大正4年 西多摩土木・建設請負組合事務所青梅市昭和7年 小河内ダム工事昭和29年 梅ヶ谷峠改修工事昭和34年 二ツ塚道路改修工事(青梅市)昭和35年 山田大橋完成(あきる野市)昭和35年 奥多摩大橋完成平成8年
街を作り暮らしを守る

古来より地域社会に必要な大規模な作業は、その地域に住む人々が行う責任として全うし、自らの地域の安全を守り生活をしていました。
そうして元来豊かなの村落ではなかった西多摩地区も、今では都内近郊の重要な地域として発展してまいりました。
明治10年、西多摩地域は川と道路が並行して谷間を遡る地形が多いため、台風などによる道路の流失、河川決壊などの災害が多く、そのたびごとに、 交通不能という状況に陥り、奥地の住民は全く孤立した状態で生活不安を余儀なくされていました。
そのような中、政府指導のもと工事の地域業者による請負制度が進められ「村内道路橋梁係」を神奈川県から西多摩の各村々に1人任命する政策がとられました。
当時はこの「村内道路橋梁係」が中心となり、地域の道路をはじめとするインフラを請け負い、街の発展に貢献しました。 しかし、江戸時代の火消し文化の残る地域の縄張り意識なども影響しヤクザ気質の労務者などが請負業者の間に混在するようになりました。
そこで明治20年に「東京府土木建築請負業組合第十支」(三多摩)が発足し、土木建築請負業は警視庁の許可によって認められる事となりました。
そして時代は戦時中、西多摩の建設業は国家的な戦略から企業合同を命じられこの組織は「西多摩土建株式会社」と「多摩工業株式会社」に合同されることになりました。 敗戦後、焦土と化した都市、荒廃した国土の復興は急務であり、西多摩のもつ建設業の真価が問われ、その責任もまた大きいものでした。
そのような時代背景と需要にこたえるべく、昭和24年に「西多摩土木建築業組合」発足させ、この組織こそ現在の「西多摩建設業共同組合」の元となり、郷土を守り、郷土と発展する建設業の産声となりました。
そして当時の先達が育んだ「物より心」を大事にする思想を後世に受け継がせていきたいという念願を引き継いでいます。
戦後の国土の復興と再建、高度成長期における国土基盤の急速なる整備その後に続く施設開発に伴う環境との調和など、つぎつぎと新しい課題に挑戦し、現在の西多摩地域開発に貢献してまいりました。
そうして今日、西多摩の現在と未来を考えるとき、急激に変化していく首都圏、そしてその中でも核副都心立川の推移、新しい時代の観光地域としての西多摩地区、圏央道からの交通の便を生かした地域の発展など私たちの地域環境をより良くしていくために挑戦をするべき課題は尽きることは決してありません。
また、文化遺産としての重要文化財の保存や、建設技術の後世への伝達など常に原点に立ち返り、予期せぬ災害に備えた生活の在り方を住民とともに共有していく事なども組合の活動の一部です。
身近な地域に根付く建設業として、「街をつくり暮らしを守る」という精神を継承し、今後、西多摩建設業協会として、地域の発展に貢献します。


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西多摩建設業協会について